シマちゃんシマちゃん

「基本的人権の限界」というのは、人権保障は無制限ではなく制限を受ける場面がある、という問題です。累計が3つありますが、いずれも憲法では最重要と言っても良い論点になります。しっかり準備しておくことをお勧めします。

基本的人権の限界の類型-まとめ

公共の福祉は、いわば、基本的人権の限界の基本形です。この話は、人権保障の宿命というか、「人権保障とはそういうもの」という話です。残りの2つは、(世の中的には何ら珍しい話ではないですが)イレギュラーな話です。

憲法判断の裁判は、これら「限界点」をめぐる戦いでもあるわけです。そういう意識を持って憲法の勉強を進めていくことも有用だと考えます。

ここで3つをちょっとまとめておきましょう。

シマちゃんシマちゃん

初学者でまだ勉強があまり進んでいない方は、この3つの類型の違いが分かりづらいかもしれません。判例、あるいは問題文を読んでどの問題か区別できるようにはしておきましょう。

類型 どんな話?
公共の福祉 人権対人権が衝突したときの調整の話
特別権力関係論 国家権力側の国民の人権保障の程度問題の話
私人間効力 私人対私人の人権侵害について、憲法は介入していくべきか、していくならどこまでしていくかの話

公共の福祉

「公共の福祉」は、こちらのページで例に挙げたパターンです。

人権というものは、他人の人権と必ず衝突するものです。ですから、その衝突を調節する機能が必要になるというわけ。の機能というものが、法律の類なのですね。

だから、人権は無制限に保障されるものというわけではなく、衝突する人権を調節するから一定の制限を受ける、ということなのです。

その制限を受けるところが基本的人権の限界というわけなのですね。

特別権力関係論

「特別権力関係論」とは、ちょっと違う言い方があったりしますのでその点ご注意を。このサイトではこの言い方で統一させて頂きます。

憲法における人権保障とは、国家権力と国民の関係であることは皆さんご存知のところだと思いますが、ちょっと違った関係があります。

国家権力側にも国民はいますよね?
そう、公務員です。公務員とて人権が保障される国民です。基本的には、公務員でない者と同じ人権保障の主体である日本国民なのです。これが原則です。

しかし、一方で人権侵害し得る国家権力側の人間です。
だから、一般の日本国民と同じように人権を保障することに合理性はあるのか?という問題提起はできます。

この問題提起が「特別権力関係論」です。
まあ、結局は一定の人権制約は許されるという理屈になっていくのですが、これが個別具体的に検討していくということになります。

こちらの人権保障の限界は、国民でも国家権力との係わり合いによっては、人権保障の度合いが変わるという意味での限界点の話です。

私人間効力

こちらは、民間(私人)vs.民間の話です。

繰り返しますが、人権侵害というものは、国家権力が国民の人権を侵害するという図式です。つまり、登場人物は、国家権力と国民です。

しかし、現代社会は、必ずしもこの図式以外でも看過できない人権侵害があるのではないか、という問題提起から始まっています。私人が私人の人権を侵害するというパターンですね。民間企業やメディアが国民を侵害するという図式です。

イメージできますよね?
企業が所属従業員の人権を侵害する、メディアが国民の人権を侵害する。ここには、現実的にいって、イコールパートナーは成立しません。人権侵害側がかなり大きな存在です。

だとしたら、私人対私人でも、人権保障はしていくべきではないか?というのが「私人間効力」の問題です。

ただ、言っても一般的な人権侵害の国家権力対国民の図式ではありません。たとえ人権保障はしていくべきと考えても、そこは国家権力がずずーっと介入しても大丈夫か?という価値判断も働きます。「私的自治の原則」という概念が働きますから。

この 私人対私人の紛争でも憲法理念を及ぼしていくべきか、仮に及ぼしていくとしても、それはどの程度なのか、という限界点の話になります。